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「まずは石と触れ合って友好を深めよう」と決めた筆者たちは河原へ向かった。初めに打製石器のようなものを作ろうと試みる。うまく打ち欠くことができず序盤は難航。打ち付けてみるものの石の意志は固く、少量の粉しか生じない。「非力な報道部員には無理があったのでは」と諦めかけたその時、課題への憎しみを高めた先輩Nの打撃がさく裂! 石は見事に打ち欠かれた。その後こつをつかんだ先輩Nは、社会の不条理への鬱憤を込めて強く石を打ち欠いていく。「社会の闇の縮図みたいですね」という筆者の言葉は、寒空にむなしく溶けていった。
次に磨製石器のようなものを作ろうと試み、筆者たちは石で石を擦り始める。ゴリゴリという音を立てて粉が生じ増えるにつれて、打ち欠かれた部分が丸みを帯びていく。時間制限を設けて挑戦したが、短時間でも予想より石器らしい形になり、筆者たちは歓声を上げる。幼稚園児のおままごとのようだと言ってはいけない。石器作りに魅了された大学生2人は、自分自身に職人意識が芽生える気配すら感じていた。
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冬季休業中、年末年始もそれぞれ石器と一緒に帰省。親にけげんな目を向けられても筆者たちはめげない。日々石を削り、育成日記をつけ続ける。「石器くんが実家に到着。これから母親の前で削り、実家の洗礼を浴びせます」、「今日の石器ちゃんはご機嫌。心なしかいつもよりも協力的に思えます」……。2018年も末にして正気に目覚めた先輩Nが「紫上を育てる光源氏みたい」と記し、余波で筆者も幾分か正気に目覚めた。なぜ光源氏の気持ちにこんな所で寄り添えているのだろう。平安から約千年を越えて、石を削る人間たちに共感された光源氏を思って胸が痛んだ。だが筆者たちはもう止まれない。「このとげとげしい石たちを丸め込まなければならない」という熱い思いだけが筆者たちを突き動かしていた。石器くんと石器ちゃんは我々の紫上なのだ。
石器ちゃんの愛情の裏返しか、途中筆者が2度熱を出すハプニングがあったものの、無事に年が明け石器は完成した。先輩Nが削った石器くんは石包丁と言えるほど鋭く磨き抜かれた。筆者が削った石器ちゃんは凸凹部分が残ったものの、ラストスパートで一点に特化した結果、それなりの出来となった。筆者たちは初めての石器作りを成功させた達成感に浸りながら、来たる平成の終わりに思いをはせる。「千年後にこの石器が発見されて、平成が誤解されたらいいのに」。ふとそんな危ない思考が筆者の頭をよぎった。
平成最後の新石器と銘打ったとはいえ、筆者たちはずいぶん遠くまで来てしまったような気がする。高校時代の世界史で教わったことは何だったのだろう。石器くんと石器ちゃんを愛でつつ、筆者は母校の方向に深く土下座をするのだった。
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